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ダンスタイムVol13 14P、15Pの記事についての批判

ダンスタイムVol13 14P、15Pの記事に関する批判です。

私は、新審判方式についても賛成だし順位が入れ替わることについても面白いと思います。旧審判方式もすばらしいと思っています。この試合の上位2組にも敬意を払っています。だから、この文章で2組を批判・非難する意図はまったくないです。最初に誤解のないように書いておきます。

このダンスタイムVol13 14P、15Pの記事を載せたことに対する批判と、雑誌読者の方に間違った認識を持って頂きたくない気持ち、そして私の勝手な憤り、からこの記事を書くことにしました。

ダンスタイムVol13の14ページ、15ページを読みながら、考えていただきたいと思います。

事実誤認を生みそうな部分と、使うべきでない言葉について書きます。

「新審判方式が生み出した、…」

新審判方式が生み出した、I 8年ぶりの国内敗戦(14ページ タイトル)

と書いてあるのに、新審判方式だからI・I組が優勝を逃したという根拠が見あたりません。

「生み出した」と書いてあるくらいだから、新審判方式でなければI・I組は負けなかっただろう根拠を表記するのが妥当ではないでしょうか。

後半にもっとも”らしく”書いてありますが、断定するには根拠が見当たりません。

ソロの課題フィガーが明暗を分け、I組は最後にTESが生み出したプレッシャーに負けた。(15ページ4段目中後半)

という文がI・I組が言っていたのなら「生み出した」と書いてもいいとは思いますが、誰がその文を書いた・言ったのかについても記載されていません。

よって、タイトルの「新審判方式が生み出した」という部分について、断定するに足る事実を示す根拠がどこにあるのか分かりません(この記事を読んだだけでは根拠を知りえない)。

すでに、国外では2012年5月6日のソウルの試合で、I・I組より、O・O組の方が上位に入っています(これは旧審判方式)。国内ではないですが、これについて記載していれば、読者の印象も大分変わるんじゃないでしょうか。

客観ジャッジシステム

客観ジャッジという言葉の使い方に問題があるのではないでしょうか。

新審判方式は客観で、従来の審判方式は主観のように思わせたいのかもしれませんが、どちらも主観による採点はあります。PCS(演技全体の技術や芸術の点)の決定に主観は入っています。

それなのに新審判方式を客観ジャッジシステムと言い切る根拠はどこにあるのでしょう。

今までの審判方式よりも客観性を増した審判方式というだけで、すべて客観的に点数化が出来るという状況にはなっていません。

競技会を実施しているJDSFが「ダンススポーツの新審判方式 実施規程Rev2.1b(リンク切れ:http://www.jdsf.or.jp/rule/shinshinpan.pdf)」の中で、「従来の審判方式(以下 従来方式)を肯定しつつ、その上で更に客観性を高めることができる方法として新審判方式を段階的に導入して行く。」と書いていますし、「JDSFでは将来的に審判員および技術判定員を評価する機構を設けるとともに、審判基準の更なる客観化努力を継続的に行う。」と書いています。

まだまだ完全に客観的ではないでしょう。

よって、客観ジャッジシステムという言葉を使うべきではないと思います。

ジャッジシステムによる番狂わせの演出の滑り込み

従来の主観的なジャッジシステムであれば、この1年で急速に台頭してきたO組が、優勝が当たり前の「Iブランド」を破ることは容易ではなかったはずだ。一人ひとりのジャッジが順位をつけることのない絶対評価の客観ジャッジが、番狂わせを演出したのである。(15ページ3段目、前中盤)

という部分。、「番狂わせを演出したのである」と断定するに足る事実を示す根拠がどこにあるのか分かりません(この記事を読んだだけでは知りえない)。

“容易ではなかったはずだ”から”客観ジャッジが、番狂わせを演出したのである。”と誤解させるような書き方です。




投稿者:ハヤト
www.ndnf.netの主管理者です。ブログも書いています→ハヤトのブログ
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